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宴の後 [写真]

 CP+2013が終了する。カメラ、写真の大きなお祭りということであったが、恥ずかしながらはじめて行ってみて予想以上に人が多いことに驚いた。
 ちょっとジジくさいことを書いてみると日本橋の高島屋で開催されていたころの「日本カメラショー」とは趣が異なるんだなあと。当時は規模もさほど大きくはなかったし、ブースは今のように決して派手じゃなかったけど、そのためかメーカー側とお客さんの距離は近しいような感じもしたものだ。
 CP+のほうはモーターショーみたいな感じなのでしょうかね。これはこれでいいんでしょうけど。でもこの規模でやるなら、ドイツのケルンでやっているフォトキナもパシフィコ横浜でやったほうがいいんじゃないのかなあ。
 で、逃げ出すようにして、隣の横浜美術館で開催中の「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー二人の写真家」展を鑑賞してきた。これは良かったですね。もう内容濃いです。沢木耕太郎さんの推論は文藝春秋でも拝読したし、2/3日のNスペでもやっていたけど、「崩れ落ちる兵士」が演習中の写真ということは間違いはないんでしょう。
yoko2.jpg
 個人的にはそれが戦闘中に撮られたのかどうかとか、撮影者が誰か、ロバート・キャパの名前は実はアンドレ・フリードマンだった云々という話よりも、当時の報道写真のあり方というか、メディアへの発表のされ方、利用のされ方に興味がある。「崩れ落ちる兵士」は写っている内容が銃弾を浴びた男が倒れたことが真実であるかどうかはともあれ、メディアで掲載されることで別の価値が生まれ、さまざまに利用された感がある。キャパはうまく波には乗れたわけだけど。
 ベトナム戦争時代の報道写真はメディア側の権力もかなり強かったわけで、軍や政府のプロパガンダ目的のために写真もたくさん撮られたけど、同時に発表された写真によっても反戦運動が盛り上がるきっかけにもなったわけで、当時のジャーナリスムはかなり自由だったんだなあと。今は戦争報道って、ちょっと違いますよね。あ、また本題と関係ない話になってしまいました。
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KOBE*HEART vol.4 つなぐ、東北・神戸 開催 [写真]

 関西の写真家が中心となって毎年開催している、KOBE*HEART展が今年も始まりました。私も参加しております。いわゆるグループ写真展です。
 1995年に起きた阪神・淡路大震災から15年めの節目として、2010年から開催していますが、主に神戸を題材として、被災地を元気づけるため、震災の記憶を忘れないようにと、個々の写真家が思うがままに撮影した作品を展示していました。参加写真家は日本全国から集まっています。
 2011年に発生した東日本大震災は人ごとではなく、神戸も東北もお互いに被災地という関連もあり、あらたに昨年は仙台でも開催し、今年も4月に仙台で行う予定です。
 前回から、題材は神戸だけでなく、東北もまた撮影地としたいということだったので、私は今回は主に、宮城と福島を巡ってきました。まあ、なんというか復興という状況にはまだほど遠い状況であることは間違いありませんでした。
 未来を感じる“光”を求めて行ったんですが、どうにもうまくまとまらない。その点では反省しきりです。自然災害は誰にも、明日にも降りかかる可能性があるし、正直のところこれはどうしようもない。しかし、それにしても原発事故があまりにも重たすぎました。
 多くの方のご来場をお待ち申し上げます。詳細は以下です。どうぞよろしくお願いいたします。

◎KOBE*HEART vol.4 つなぐ、東北・神戸
開催日は
2013年1月10日(木)〜20日(日)まで
開催時間/10 : 00 ~19 : 00
※1月15日(火)は休館です。
場所は
神戸アートビレッジセンター1F KAVCギャラリー
〒652-0811 兵庫県神戸市兵庫区新開地5-3-14 TEL 078-512-5500

出展写真家(五十音順)は以下です。
赤城耕一/浅井英美/浅田トモシゲ/有本真紀/石川奈都子/糸井美武/大賀トモ子
大島拓也/太田恭史/大森有起/岡森大輔/景山日出一/桂秀也/北畠健三
國米恒吉/佐藤浩視/塩崎聰/鈴木誠一/高木松寿/高見尊裕/竹中稔彦
武甕育子/内藤貞保/中西ゆき乃/中道淳/中村充利/七咲友梨/成田貴亨
成田直茂/成瀬友彦/根岸正臣/橋本正樹/畑谷友幸/hana/ハヤシシゲミツ
HayachiN/ハリー中西/HARUKI/阪野祐夫/馬場和実/東谷幸一/福森クニヒロ
藤原信二/藤原一徳/松橋隆樹/本野克佳/横木安良夫/吉田秀司
大久保かれん(FM RADIO DJ)/門上武司(フードコラムニスト)

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ニコンF5の意味したもの [写真]

 ニコンの使用頻度が極端に減ったのは、ニッコールレンズがGタイプ化(絞りリングを省略した)したことにその大きな理由がある。MFニコンにニッコールGレンズは事実上使用不能だからだ。
 いつまでもフィルム一眼レフカメラにこだわって、そんな意地を張るなと言われそうだけど、意地もなにも、新しいレンズが使えないカメラがあると不変のFマウントでも新しいレンズの購入意欲が失せてしまう私である。手もとにはたくさんのMFニコンがあるからレンズに本来あった絞りリングがなくなるのは困る。じゃあ、大人しく古いニッコールレンズ使えばいいじゃないのかと言われれば、それで話は終わってしまうのだけど。
 ニコンはレンズ資産のほうはきちんと面倒をみますという方向なようで、最新のD600にもAi連動ピンや、ボディ内モーターを残しているのは周知のとおりである。
 でもまあ、逆に最初っからフルに電子化されたEOSのほうが私にとっては潔くて、レンズの互換性など何ら気にすることがなく使えるので私など依頼仕事ではキヤノンをメインカメラに切り替えてしまったわけだ。
 じゃあ、ペンタックスだってニコンと同じじゃないと突っ込まれそうだけど、こちらのほうは少なくとも現時点ではAPS-C専用のカメラボディとレンズを主流としているわけだから、新しいレンズが発売されても視野にも入らないしほとんど無視できる。ペンタックスが35ミリフルサイズフォーマットのデジタルカメラを出してきた場合には、ぜひともその対応レンズには絞りリングをつけてもらいたいものだ。
 先日、珍しいフィルムによる撮影依頼があり、久しぶりにニコンF5を引っ張り出して使用したのだけど、F5こそがニッコールをGレンズ化計画への大きな道筋をつけたというか加速をつけた機種なのではないかということを思い出した。
 この理由を簡単に説明してみる。F5の場合にはSやDタイプのようなCPU内蔵の絞りリングのあるレンズを装着した場合、ボディ側のコマンドダイヤルでも絞りリングでもどちらでも絞り設定が可能になっている。前者の場合は最小絞りに設定してロックし、コマンドダイヤルで絞りを設定する。後者では従来どおり、絞りリングを動かして絞り値を設定する方式だ。一見、フレキシビリティな機能のように思える。
 ところがだ、後者を主流にして使いたい人。つまり、常に絞りは絞りリングで設定している人の場合は、注意していないと大きなミスを起こしかねない。具体的にいうと、最小絞りで撮影していたつもりでも、それよりも開いた絞りになってしまうことがあるのだ。F5を使用してSやDタイプレンズを装着し、レンズの最小絞りで撮影する場合は、液晶表示パネルを確認し、絞りリングの最小絞り数値と、F5の液晶表示の絞り数値とが一致していることを必ず確かめる必要がある。
 私がこのことに気づいたのは、たしかF5にポジフィルムを装填して、何かのマクロ撮影をした時にこのこと。現像が上がってきたコマに絶望的に露光オーバーのコマを発見したからである。自分は最小絞り値で撮影していたつもりだったけれど、カメラ側のコマンドダイヤルでの絞り設定は最小絞り値よりも開いていたのだ。
 まあ、私の確認不足であることは確かで、絞りは絞りリングで設定するのだと決めていたものだから、カメラのファインダー内の絞り表示とか液晶パネルでの絞り表示はろくに見ていない。だからこのトラブルは起こったわけだ。F5の取り扱い説明書にも「絞りはボディ側の絞り設定が優先されます」と、記載されていたように記憶している。私などはMFニコンもニコンのデジタル一眼レフも両方使いたいからほんとはカメラの種類で二重のインターフェースを持っているのがイヤなわけ。勝手なんだけど。
 ニコンF100では、こうしたトラブルが起こる可能性に気づいたのか、絞りリングによる絞り設定かボディ側のコマンドダイヤルによる絞り設定かを、あらかじめ必ず選択しなければならないようになっていて、後者の場合には絞りが最小絞りからズレているとエラー表示になりシャッターが切れないフールプルーフ機構がはたらくのだ。
 F100は「F5ジュニア」の愛称だったけど、アニキよりも気配りされたカメラだったわけだ。もちろん絞りリングのないGタイプのレンズを使用する場合は、こうしたつまらないことに一切気を回す必要はないから安心して使える。でもなんだか釈然としないものだ。
 ま、こんなこともあってかどうかは知らないけどニコンはGタイプレンズをより推進してゆき、私はそれとともに少し離れたところからみているという構図なわけである。
もちろんフツーのマジメなニコンユーザーにはどうでもいい話だけどね。 
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ニコンF5。Ai AFニッコール50ミリF1.4Dつき。作り込みははっきり言ってF6より優れる立派なカメラで性能面でも優秀。おそらくSやDタイプレンズを使用する場合には、絞りは最小絞りでロックしていただいてボディから絞りを設定してねとほんとは推奨したかったんだろうね。
 
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絵になる [写真]

 銀座のBLDギャラリー須田一政さんの写真展「風姿花伝」を見てきた。(第一部は12/2まで、第二部は12/4-28日まで)写真展と同名の写真集「風姿花伝」も発売中。須田さんは私個人に多大なる影響を与えた写真家であり、おそらく須田さんがいなかったら、私はここでこんな駄文を書いてはいなかっただろう。
 絵画や写真には「絵になる」(風景とか状況。写真的に云うと「画になる」と書くべきか)という言葉があるけど、須田さんの場合のモチーフは一貫して日常の光景やフツーの人物だったりするわけで、いわゆる一般的に「絵になる」状況を撮影したものではない。しかしである。日常の机の前の筆立てでも、路地の壁でも、本来の機能や役割を越えた「何ものか」になる(みえる)ことがあるような気がする。それが「絵になる」状況なのかもしれない。すかさずそれをカメラで捉えて、写真化するという須田さんの写真行為と作品とが若き日の私にはとても感じ入った次第で、いまに至るまで長いこと須田さんの作品をウオッチしているわけである。
 日常と私たちが生活するのとは違う場所を撮るというのは記録として、あるいはその場所を知らない人に知っていただくために意味あることだと思うし、たいへんよいことであり否定はしない。
 しかしお祭りとか、紅葉とか、芸能人とか、顔立ちの違う外国人が写っているとか、日本とは違う海外の街並みが写っていることで、それが写真的に「絵になる」ということもないとはいえない。
 須田さんにもベトナムとか台湾で撮影された写真作品があるけど、撮影場所はさほど重要な意味を持っていないようにも思う。お祭りに撮影された写真も多いのだが、お祭りの主要なシーンが写っているものは少ない。準備中とか、見物人が写されていることも多い。つまり被写体や撮影場所の意味に「寄りかかってはいない」写真である。須田さんの作品のタイトルでは「角の煙草屋までの旅」とか「日常の断片」「無名の男女」などがとくに印象に残るが、このことからもおわかりであろう。
 少し話は逸れるけど、先日、本業の合間に東北に行ってきたが、復興には遠い状況である。しかし、写真を見る人に日常とは異なる光景が絵になる(それがその地では日常であり現実であるということには変わらないが)と思われてしまうとイヤだなあと考えてしまうと、なかなかシャッターは切れないものだ。
 事故や災害を人々にいち早く伝え、記録するのは報道写真家とかTVの役目だ。私は災害も日常の中、普通の人の人生の中でふりかかった出来事として、被写体には「だからどうしたのだ」という意味を持たないものを主に撮影した。
 そうした写真を撮ること、あるいは人に見せることに何の意味や価値があるのかと問われると何の意味もないとしか答えようもないが、そんな問いを常に持ちつつ、日常、身の回りのものの撮影を続けている。でもさ、流行のお散歩写真ともちょっと違うんだよね。
被写体に意味があるから写真を撮るという行為は日々の依頼仕事で果たしているつもりだ。
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「楢葉町」X-Pro1 XF18mmF2R f8 AE AWB ISO400
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70mmフィルム [写真]

 とある写真を探していて、ぜんぜん目的と関係なく出てきた写真が、この70mmフィルムのコダックEPR(エクタクローム64)で撮影したライカM4+ズミクロン35ミリF2(8枚玉)+ライカビットMPのポジ。もちろんNGカットだ。
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 この写真を撮影したのは13年くらい前で、仕事も一般の雑誌の撮影が再び多くなったころだと思う。そのころ撮影していた建築とか、インテリア関連の仕事も、印刷の精度が上がったことやコストダウンのためか、4×5判カメラを使うことが少なくなり、PR誌とか雑誌系のブツ関連写真はけっこう中判カメラを多用するようになった。
 この写真はたしか「アサヒカメラ」の「ニューフェース診断室・ライカ編」増刊号の表紙用のために撮り下ろしたものだと思う。なぜこの時に70mmフィルムを選んだのかはまったく覚えていないけど。表紙以外にも機材のブツとかをまとめ撮りしたのか、あるいは他の撮影の余りでもったいないから使用したのだと思うけど、他のコマは発掘できなかった。
 70mmフィルムの存在は当時一緒の事務所だった写真家の海原修平さんに教えていただいたのだが、この当時でも日本で入手しやすい70mmフィルムはコダックのみで、しかもこのEPRしかなかったんじゃないかなあ。
 70mmフィルムの現像は引き受けてくれるラボも限られていたけど当時、最も取引の多かったラボステーションやイースト ウエストでも通常どおりできたから、特殊なフィルムではあったけど、それでも多少はそれなりの需要はあったということなのだろう。
 たしかモノクロ現像用に70mm専用の現像タンクも存在していたと思う。今はどうなっているか調べてもいないけど。今でもたぶんドイツのMACOあたりでは、なんらかの種類の70mmフィルムがありそうだ。
 70年代初頭のカメラ雑誌の新製品ニュースで、プラスXの70mmフィルムが新発売というニュースも見たことがあったから、フィルムの規格としてはものすごく大昔のものではないし、一時はそれなりの種類があったはずである。
 もう手放してしまったけど、所有していたハッセルの70mmマガジンは「NASA」の金属プレートが貼られていたことを覚えている。宇宙ではフィルム交換もタイヘンそうだからなあ。とはいえ、私の所有していた個体はプレートのみで特殊な仕様ではなかったから、地上記録撮影で使用されたものであろうと勝手に想像している。
 ブローニーフィルム規格だけど、ご覧のようにパーフォレーションがあることも大きな特徴である。このフィルムも35mm判同様に映画用フィルム規格を流用したものだ。6×6判フォーマットで約70コマ撮影することができたはずだが、120フィルムでは12コマ、220フィルムでも24コマだから、フィルム交換の手間は省けたけど、大画面の写真を短時間で大量枚数を撮影するというのは便利なようでいて、意外や神経がすり減るものである。それに、モーターつきのカメラでないと、フィルム巻き上げ操作だけでけっこうたいへん体力を消耗するものであった。
 フィルムベースはけっこう厚手だが性質のよいもので、通常市販のEPRフィルムよりも出来上がりのシャープネスや発色がよくて驚いた記憶がある。パーフォレーションといえば、いまではデジカメで撮影して、Instagramで加工してささっと飾りをつけ、銀塩写真調にそれらしく見せるという手もあるけど、やはりこちらのほうがリアリティがあるでしょ?
 70mmフィルムはハッセルのほかペンタックス645用にも専用のマガジンが用意されていた(たしかマガジンの長い形状に合わせて専用のアイピース用のエクステンションもあった)し、軍用のコンバットグラフィックでも使われていたのは有名だ。パトローネのカタチと色、これがまたいいのだが、手元にひとつも現存していないのでお見せできないのが残念だなー。
 
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写真評論 [写真]

 カメラ雑誌などの写真評論でおなじみの上野修さんから「写真評論集成・上野修」なる冊子集が届いた。上野さんが過去25年にわたって発表された、いわば備忘録的なもので、これは自主制作だと思うけど、その出来はなかなかのもので、掲載雑誌のページをそのまま転載したもの、独自で再構成したもの、4Cページを中心としたものに分かれている。私などは、仕事をした雑誌をこまめに保存しておくということをしていないので、いざ過去の記事を本にするという話が出てくると、原稿と画像データの探索でたいへんな騒ぎになるのだが、上野さんはさすがきちんとスキャニングしてデータ化されているようである。
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 もちろん1年かそこらでモデルチェンジされる私のデジカメの論評なんぞは本にまとめようもなく、アカデミックでもない。それに比較すれば写真評論は機材に関係なく、過去の仕事もきちんと残るというものである。
 海外ではロラン・バルトスーザン・ソンタグのように写真専門の評論家ではなくても写真を語る人は多いけど、日本においては写真評論家はたいへんな役回りで、広いようでいてさほど広くはない写真界において、写真そのものや写真家の構造的な分析について自身の意見を伝えるのは骨の折れる仕事だと思う。上野さんは若手論客のひとりであるが、実際に自らが写真を撮影するという点においても他の評論家の方々とは少し違う存在であるように思う。
 当たり前だけど写真のありようとか解釈は人それぞれに違うものであり、たとえば写真コンテストなんかにおいても、複数の審査員がいる場合は、それぞれ意見が分かれるものだが、写真評論家は恨みを買っても、自分の意見を言わねばならんからタイヘン。もちろん評論を“仕事”とした以上、責任と覚悟が必要になるが、上野さんは実によい感じで波に乗っている。
 実は恐れ多くも拙著「銀塩カメラ辞典」も上野さんの俎上にのり、今発売している日本カメラ11月号に紹介ページがあるので興味のある方はぜひご覧ください。
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石元泰博さんのライカ [写真]

 今年の2月にお亡くなりになった写真界の巨人石元泰博さんのライカの話が日刊現代の書評で取り上げていただいた拙著「銀塩カメラ辞典」の中に出てきたこともあり、久しぶりにまたライカ熱が出てきそうな感じがする単純な私である。
 かつて双葉社から刊行されていた季刊クラシックカメラ7号の「M型ライカの神髄」という企画で、石元さんの伝説のライカM2を借り出して撮影したことがある。ブラックペイントのライカもこれくらいまでヤレればさすがであると思う個体だったけど、剥離した塗装の下の真鍮地金はアメ色というか赤茶けた色をしていた。この迫力は写真上にもちゃんと現れていた。外観はボロだけど、落としたりした形跡とか、凹みがないのだ。これはけっこう驚いた記憶がある。大切に使ったけど、過保護にはしていないという感じなのが、いかにも大写真家のアイテムとして素晴らしい感じがした。
石元さんがライカを使っていたのはずいぶん前のことだが、往時に新品で入手していたとしたら、かなりの価格だったはずである。レンズもブラックペイントのズミルックス50ミリF1.4が着いていたけど、これも今ではたいへんな珍品レンズであることは言うまでもない。
 ライカのブラックペイントの質が悪く、塗装がすぐに剥離してしまうことはあちらこちらで語られていることであるが、このことを例に例えれば料理人が長年使ってきた愛用の包丁が、繰り返した研ぎによって次第に小さくなってゆくと同様に、ライカの塗装の剥離こそが写真家の歴史を物語る感じがするわけで、ここにブラックペイントライカボディの魅力があるのではないかと思うのである。新品同様のライカのブラックペイントボディを使って写真を撮っている人って、ちょっと想像できないというか信用のおけない感じがしませんか。白手袋とかして扱いそうじゃないすか(笑)。
 写真は石元泰博さん。手にしているのはこれもライカM2のブラックペイントにこれもブラックペイントのズミルックス50ミリF1.4つき。季刊クラシックカメラ掲載のものとは別のカットだ。後から考えると本誌に掲載した写真より、こっちのほうがよかったなあ。撮影は2000年の冬。私もまだ30代の終わりだった。たしか撮影カメラはライカR6.2にズミクロンR90ミリF2だったんじゃないかなあ。撮影場所は当時の石元さんのお住まいのマンションの近くでした。奥様もこのころはお元気でした。
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ユージン・スミスのミノルタ [写真]

 いま銀座ニコンサロンで開催中の石川武志さんの写真展「水俣ノート1971-2012」(11月6日まで)はすばらしい写真展である。石川さんとは20数年前にミリオン出版から出ていた「ZOOM IN」という写真月刊誌で同時期に仕事をしていたことがある。また「写真時代」(白夜書房)の写真とか、ヒジュラの作品も拝見していた。
 石川さんが報道写真家のユージン・スミスのアシスタントだったことは、かなり以前から知っていたけど、その当時の写真を見るのは今回がはじめてである。アシスタントの仕事は言うまでもなく師匠の手伝いだから、本来ならば、師匠と同じ場所で写真を撮ることはありえないのだけど、スミスは石川さんにフィルムを渡し、おまえも水俣を撮って、自分の写真と対峙しろと言ったという。これはなかなかできないことである。
 石川さんの写真には、スミスの撮影中のポートレートが多くあり、これがけっこういいのだ。スミスが使用しているカメラは主にミノルタのSR-T101かSR-Tスーパーだと思うが、石川さんの写真にはMCロッコール21ミリF2.8がついているカメラが多く写っている。このMCロッコール21ミリF2.8は、月刊カメラマンの私の連載「ボケてもキレても」にも取り上げたことのある秀逸なレンズである。少々デカイし、いかにもレトロフォーカスでございというスタイルが古くさいのだが、いまも立派に実用になるのだ。
 スミスがミノルタのカメラを使用するきっかけとなったのは、日本へ取材に来たとき、自身のライカ一式が盗難にあったから。これを知ったミノルタが、スミスに自社の機材一式を提供し、スミスは無事に仕事を終えたのである。それからスミスは水俣の取材でミノルタのカメラを使用するようになったわけだ。
 スミスの写真はアサヒカメラの表紙でも、たしか浅井慎平さんの撮影だったと思うけど、ポートレートが出ているし、写真家としては意外とその撮影風景は残っているほうであろう。自身が写されることはキライではなかったのではないか。私がいちばん印象に残っているのは、7台くらいのミノルタのカメラをぶら下げた写真だ、もしかするとミノルタの広告だったかもしれないが非常に強い記憶がある。この時は私も中学生くらいだったのではないかと思うだが、千手観音ではあるまいし、どうやって、そのカメラたちを使い分けていたのか強い疑問を持ったものだ。
 石川さんの写真で知ったのだが、スミスはまずベタ焼きから選択したコマから2Lくらいのプルーフプリントを作成し、それを壁に張り付け、毎日これを自分で鑑賞し、とくに印象に残ったものを本焼きするという手順をとっていたようだ。
 報道写真はスピードが命みたいなところがあるけど、ずいぶんと悠長な選択方法だ。でもこれは凡人の私にもいえて、昔の写真を見直してみると、なぜその当時、このコマを選んでしまったのだろうかという自戒の念にかられることがある。冷静に自分の写真を見直してみると、しかるべき必要な写真というのはわかってくるものであるが、その選択を行うには、ある程度の時間を必要とするのであろう。
 ミノルタSR-T101とかスーパーの写真は見飽きているので、ここではSR-T100っていうカメラを載せておく。輸出専用の普及機ね。シャッター速度は1/500までしかない。セルフタイマーもないから美しい。これでコストが下がったとは思えないけど、まあ、ひとつのパフォーマンスみたいなものだろう。もちろんスミスは使ってないと思うけど(笑)。
srt100a.jpg
 
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写真家の名刺 [写真]

 日本人の仕事の慣習として、初対面との方との名刺の交換がある。ビジネスマナーの基本として、交換の仕方なんてことが社会人一年生に向けて仰々しくハウツーが語られていたりしますねえ。
 欧米では、初対面でもまずきちんと顔を見合わせて言葉の挨拶を重要視するから、ビジネスカードの交換は最後になることが多いが、人としては、まずそれが当然のことであろう。でもカール ツァイスやライカ社あたりの社員だと、日本人相手にも手慣れていて、日本流に挨拶をしていただける場合が多い。英語で自分の名前を云われても、こちらも聞き取れなかったりするから、名刺は日本人のものより重宝する。逆にこちらの名前も伝えづらいから、ちょうどよいのだけど。
 最近はiPhoneで名刺を撮影し、専用アプリでアドレス帳管理なんてこともやっているので、名刺は一度登録してしまえば用済みで、名刺ホルダーにいれて整理することも少なくなったので山積み放置プレイ状態だが、紙がもったいないので廃棄できない。儀式は今後も続くのだろうな。私は人の顔が覚えられない重度の健忘症なので、コンデジで相手をさっと撮っておき、後で名刺をデータ化したアドレス帳に貼付けておくという技も使うこともある。
 フリーカメラマン商売を長いことしているけど、一般の方々からみればデタラメで軽くてイイカゲンな仕事をしているように思われているかもしれないが、かなり名の知られた著名な写真家でも、きちんとした名刺を作成していることが多い。
 仕事のスタッフである編集者やADなどと挨拶を交わすのは当然だけど、ポートレート撮影などで被写体となっていただく方には、一期一会の機会になることもあるから、どのような人であろうが、まずは「撮らせていただく」という謙虚な姿勢が重要になる。したがって、きちんとした挨拶が必要だから名刺は欠かせないわけだ。
 写真家によっては自分の写真作品を名刺に入れたり、ものすごく派手な色にして印象づけようとする人もいて、デザインも感心するものがあるけど、多くはわりとシンプルで地味だったりする。と、いうかトシを食ってくると、名刺の虚飾に頼っても効果はないということがわかってくるからか。
 この手の商売は宣言したもの勝ちみたいなものだから、名刺に「写真家」だとか「Photographer」と入れておけば即刻立派な職業写真家になるわけだけど、最近はアマチュアさんもこれらの肩書きのついた立派な名刺を持っていてびっくりさせられることがある。もちろんそうした名刺を渡しても、職業詐称で捕まるようなことはないから問題にはならない。
 私の名刺も簡素なものだけど、PCで軽く作りましたとか思われるのもしゃくなので、高価な厚手の紙を使い、さらに一時は特別に希少な活版印刷をお願いしたことがある。しかし、1枚あたりの単価がものすごく高価になり、渡す相手を選ぶようになって、名刺の意味をなさなくなったのでやめた。でも、今でも名刺1枚あたりの単価は高いんですよ。だからお渡しした方、すぐに捨てないでね。ついでに仕事ください(笑)。
写真は森山大道さん篠山紀信さんほかの名刺。シンプルでしょ。でもぜんぜん整理してないや(笑)。
meisi.jpg
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efke [写真]

 ほとんどの人は関心がないだろうが、クロアチア製のefkeのフィルム、印画紙が製造中止になるのではという報が入った。国内での取り扱いはかわうそ商店が有名。
 127フィルムの用意など、知る人ぞ知るフィルムメーカーだったわけだ。個人的には大手フィルムメーカーが製造中止した場合のバックアップになってくれればと思っていたが、フォトキナに取材に行った編集者にも訊いてもらったが、どうやら真実らしい。困ったことである。
 いちおうの義務として富士フイルムでフィルム、印画紙の製造をヤメるという話が入ると、担当に連絡を入れて、イヤミを云うことにしている。でも「アカギさんだって、使っていないでしょ!」とか逆ギレされたりする。たしかにそうだ。ネオパンSSもアスティアもフジドールEもピールアパートのインスタントフィルムも使ってはいなかった。ところがだ、レンブランドは違った。製造中止の報には真っ青になり、在庫を漁ったが、時すでに遅かった。
 たしかアサヒカメラにも書いたけど、もうフィルムの種類がどうとか、印画紙のサーフェースがどうとか、銀の量が、黒の締まりが、紙の厚みが、という話はヤメようと思う。とにかく入手できるものを使うということでいいや。開き直りである。特定のものを使い続けて、それが製造中止になったりすると銀塩写真制作のモチベーションは大きく低下する。いまレンブラントの代わりになる印画紙は何かとテストしているが、まだオリエンタルもイルフォードもあるわけで、種類を選ばねばいくらでも制作は可能なのである。
 写真はefke KB50フィルム。ISO50のモノクロだが、感度の中途半端さがそそる(笑)。
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